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何教?

寿庵さんと左馬なんて出会うことないと思いつつ好き勝手に描いてしまう
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健磐龍命

昔原田城には原田家始祖の原田光成の守本尊を安置した龍蔵権現と呼ばれる祠があったと記録に残っているらしいです(東陽寺の方・談)
龍蔵権現なんだろうと思っていたら、「山形県の地名」中小松村のところで【肥後國阿蘇郡健磐龍命神社を勧請して龍蔵と改称した】というのを見つけたので、この地域で信仰されていた神様なんでしょうか。
下のまとめにも書いてましたが阿蘇山の神様が山形で信仰されるって不思議な気がするんですが、そうでもないのかなぁ?左馬も祈願してたのかなぁ?
これでなんとなく原田家は火のイメージがつきました。

【追記】
川西町犬川地区に「龍蔵桜」という桜があるんですね。
さらに福島県柳津町には龍蔵権現社(飯谷山の飯谷大明神)が祀られていたなんて。龍蔵だらけ|д゚)
ん、でも柳津の龍蔵権現の正体は蔵王権現…?
なぞは無限に広がってゆく( ◜ー◝ )

原田3代


宗資の左馬助に対するコンプレックスを考えてたら原田3代の妄想がもくもくもくもく…宗輔は(仮)

典厩宗時!

下の記事の"加藤清正試し斬り"を読み直していたら、清正さんが左馬のことを「てんきう」と呼んでいたので気になってググりました。

左馬頭・右馬頭(従五位下)の唐での名称のこと。

唐名!?な、なんですかそれは…ひどく萌える呼び方!("左馬助"も同様の唐名みたいです)
釜山海評定ではそっけない態度だった清正さんにこう呼んでもらえたということは、清正さんの中で左馬は脱モブしたんだろうと勝手に推測!そして勝手に興奮!
この言行録では左馬のことを浅野弾正さんは「左馬殿」清正さんは「典厩」と呼んでいるんですね。うわーい妄想の糧。

左馬と清正


政宗言行録木村覚書からですが、文禄の役・釜山海評定の後日浜辺で試し斬りをする清正さんのエピソード。

政宗の刀で試してみようと清 正さんに提案され、伊達家の威信に関わる試し斬りが行われるのですが、興味津々で清正さんを取り囲む人垣をかきわけて清正さんの左に畏まる左馬がとても好 きです。こういう時の左馬は一点しか見えていなかったりするととても良いと思います…もう目線の先の清正さんしか見えてなくて、体が勝手に人を押しのけて いる感じで。神輿見物に行って気がつけば神輿の担ぎ手になっている、そんなイメージの原田家17代目当主。

試し斬り後、左馬が清正さんから刀を受け取る場面は釜山海でのゴタゴタが嘘のような和やかムードで清正様の名将ぶりに心を鷲掴みにされました。いやしかしそれ以上に清正様から左馬に刀が渡されるという構図そのものが素敵過ぎる…ひいぃ。

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