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続・龍蔵権現

以前の記事で唸っていた龍蔵権現について。
たまたま見つけたNPO法人のサイトで川西町の観光資源がまとめられていて、龍蔵神社の存在を知りました以下紹介文。

祭神:健磐龍神 外四柱
創建年月は不詳。肥後の国阿蘇神社に祀る神である。県指定文化財である弘安2年阿弥陀板碑がある。


また、グーグルマップに載っている龍蔵桜の立看板の写真には

今から約千年前に開院された寺院があり、その名所は龍蔵院…だがその後約五百年で焼失 後継者絶えて閉院となり現在に至る

と書かれています。

…龍蔵神社とは異なる寺院もあったの…???

原田城の祠との関係は…?

【追記】
グーグルマップ見たら普通に龍蔵神社も龍蔵桜も写真バンバン載ってますね
なぜ今までグーグルマップを確認しなかったのか(o_o)
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そして1130の日を忘れていました…

しまった…自分で1130(いい左馬)の日を作っておきながら忘れていた…

最近またツイッターで左馬から孫兵衛宛ての手紙を読み直してあらぶっていたのでこちらにも載せておきます。



過去の自分のツイート読んでるけど、忘れてることかなりあって勿体ない(; ・`д・´) 左馬が孫兵衛に書いた手紙にでてくる「山雲海月」の元の言葉のこととかまた忘れそうだからつぶやいとこ 
山雲海月http://www.jyofukuji.com/10zengo/2008/09.htm


左馬から孫兵衛への手紙の「誠一封之書ハ寄数行泣候と申候事、今思合候。」ですが、唐の詩人・王昌齢の漢詩「別李逋之京」からきているんですね。

故 園 今 在 㶚 陵 西

江 畔 逢 君 醉 不 迷

小 弟 鄰 莊 尚 漁 獵

一 封 書 寄 數 行 啼


なかなか探せず苦労していたところ『心に響く漢詩名句辞典』で見つけることができました。訳す方によって多少の違いはあるのかもしれませんが、この本の解釈に沿って左馬の手紙を読むと、
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渡海以来たびたび手紙を出していますが届いているでしょうか。気になります。
此の度の手紙受け取りました。戦床にふしながら何度も読み返しています。「一通の手紙の中に、幾ばくかの涙を入れて言伝る」という言葉がありますが、まさにその通りですね。
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とか、そんな感じでしょうか?


あと、帰りなんいざだと「なんぞ惆悵して独り悲しむ」って自分を奮い立たせる感じだけど左馬の手紙は「惆悵して独り悲しむのみ」ってほんとつらそう…



分からないなりに、分かろうともがくのも楽しいです。

月代

河北新報連載独眼竜政宗、WEB版にも左馬回出ましたね!(*´◒`*)

わたしはリアルタイムで見逃してしまっていたのでとても嬉しいです!!!!
今度の丸森フォーラムでは今までのお話しを読むことができるというので、この60話しっかり見てきたいと思います。素直な左馬が可愛い~(///◜◒◝///)

ところで、登場人物を月代にしようかなと思っています。
今まで勇気がなくて描けませんでしたが、最近になってやりたい衝動がムラムラと…笑



本当のところはどうなんでしょうね。月代…してたかな?してないのかな?

ワンドロ!

ツイッターで「#創作戦国版深夜の真剣お絵かき一時間一本勝負」という企画があり、テーマ「あなたのイチ推しの武将」で描いた左馬です。元気ハツラツなのがやっぱり左馬には似合う!

一時間て時間あるようでないですね(; ・`д・´)
おもしろい企画だなと思うので、また参加したいです!

天正19年の左馬

一迫町史に、天正19年大崎葛西一揆後の栗原郡宮野に左馬が配備されたとあります。
参考文献が記載されていないので、元は何の資料に書かれているのか凄く気になります。


データ整理していたら発掘した2年前に描いた左馬in日本海

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