忍者ブログ

memo

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

富沢と原田家


『宮城県の地名』という本をパラパラめくっていたら、柴田町富沢が載っていました。左馬の奥方様のお墓が建っている常光寺がある場所です。

元文2年(1737)の検地帳で、名請人のなかに原田氏家中や足軽、山伏龍蔵院の名前があるらしいです。
寛文事件後、帰農した家臣たちの一部は富沢で暮らしていたということでしょうか。東陽寺で宗輔の法事に元家臣が集まっていたから、なんとなく皆登米に移ったのかななんて思い込んでたので、まだまだ未知の領域・寛文事件のことをちょっとだけでも知れて良かったです。

あと山伏龍蔵院について。
こっ、この名前、原田城の祠で祭られていたという龍蔵権現と名前が共通しているのって、偶然なんでしょうか??

いつも疑問ばかりが残る…orz
PR

絶影島


「仙台郷土研究」の"政宗公と軍使木"という論文で、左馬が疫病に罹ったので絶影島に残し置いたこと、左馬の死を政宗は博多で聞いたことが書かれて いました。参考文献は「何時か、たしか『高麗戦記』?かなんかの本を見た」ということなので確かなことは分かりませんが…気になる高麗戦記の存在!

奥羽永慶軍記

量に圧倒されてしまいちょこちょこ摘んでしか読んだことがなかったんですが、同人心を刺激させて止まないですね(*´Д`)

「田村清顕卒去并原田盗人を討つの事」を読みました。
鏁子鎧を着 懐には火打ち道具を忍ばせて、夜もたけなわ大元神社に向かう‥‥
も~なんですかどこの仕事人ですか左馬はっ。腰帯を鉢巻にする急ごしらえぶりも堪りません。ヨレヨレなんじゃないかその鉢巻。
この左馬の延長線上に永岡先生の左馬を感じました。
不肖者スタイルで情報収集するのがとっても似合うよなあ。

Copyright © memo : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]