『宮城県の地名』という本をパラパラめくっていたら、柴田町富沢が載っていました。左馬の奥方様のお墓が建っている常光寺がある場所です。
元文2年(1737)の検地帳で、名請人のなかに原田氏家中や足軽、山伏龍蔵院の名前があるらしいです。
寛文事件後、帰農した家臣たちの一部は富沢で暮らしていたということでしょうか。東陽寺で宗輔の法事に元家臣が集まっていたから、なんとなく皆登米に移ったのかななんて思い込んでたので、まだまだ未知の領域・寛文事件のことをちょっとだけでも知れて良かったです。
あと山伏龍蔵院について。
こっ、この名前、原田城の祠で祭られていたという龍蔵権現と名前が共通しているのって、偶然なんでしょうか??
いつも疑問ばかりが残る…orz