こちらの
桑折雅嗣氏のホームページで、桑折氏のお話が載っていて凄くおもしろいです。四郎・松鶴丸・竹鶴丸のエピソードとか、政長さんの娘は「吉菊」ちゃんだとか。
エピソードと桑折系図を参考に自分なりに無い知恵を絞って考えたのが、桑折景長長男として松鶴丸は生まれたけど、すでに植宗の子・四郎が養子に来てたから桑折を継がずに原田内記某のとこに養子。その後松鶴丸は四郎と遊んでた時に小刀で怪我をさせてしまい切腹、竹鶴丸は叔父の彦十郎と相模藤沢の寺に…という流れでしたが、天文22年まで松鶴丸名乗ってるのは明らかにおかしいことに気づいて再び桑折家系図の深淵に堕ちていきました…ぶくぶく…
ツイッターで呟いてたのを自分メモ用に残しておきます。
・宗長さんは景長さんが26才の時の子供(めも)
・でもなー近い年代で同じ幼名(しかも縁起悪い)使ったりするんだろうか (まだ未練をもつ…)
・無理やりこじつけるとすると、四郎に怪我を負わせた松鶴丸は切腹せずに原田家養子に出され、少なくとも21才以上の歳になっても幼名のままということに(遠い目)
・そんなこと言ったら左馬と政長さんが九歳差でしかも左馬の父は長政さんの弟って矛盾も永遠の謎なんだけど
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